2014年3月11日火曜日

3月11日

またこの日が来ました
いつもいつも何もできないまま日にちばかり過ぎてしまいます
申し訳ない気持ちでいっぱいです
ここ最近は実家に帰ってません、口実は常磐線も常磐高速も繋がっていないって事ですが、それでおっくうになっているのはもちろんそうなのですが、そればかりではない気もします。
話は違いますが
昭和40年、50年台の「浜通り」の児童はそれなりに「原子力神話」の洗脳を受けて来たと今になって思います、中学の修学旅行等のスケジュールに入っていることもあります
(私は最初のスケジュールに入ってた気がしますが結局キャンセル(学校的に)したと思います)「原発広報」は繰り返し「絶対大丈夫、◯×△程度の地震の何倍もの強度で作っているし、二重三重の安全策をしております」と言ってました。私が中学生の当時もそう思っていたのですがそれは「ただの一度も間違いは許されない、はず」と思っていました。
しかし、「核開発」を初めて100年もたたない間に今回の福島第一をはじめもちろんチェルノブイリ、スリーマイル、ビキニ環礁、東海村の実験施設等、間違いだらけで、しかもその「後遺症」が無くなるのに何千年もかかるのです、子や孫、曾孫、玄孫....
日本はそれでもまだ原発を再開しようとしています。それを聞いた時は正直びっくりはしなかったです、そんな国であると思ってたからです。「想定を越えた津波によるもの」で片付けようとしている状態なので、、、しかし、悲しかったです。もの凄く無力感を感じました。
いろいろイメージできないのかな?
・お盆、毎年子供や孫が帰省してお墓に墓参り、迎え火の時に孫と花火、一時的でも大家族の夕ご飯。
・春や秋、いつもの山に分け入り山菜や茸狩り、山菜の天ぷらや香茸の炊き込みご飯を食べる、
・津波にのまれず助かった漁船、家は流されたけど家族は無事、海もある、でも漁はできない。
・毎年送ってもらってた桃、今年も送られてきたけど、近所にお裾分けする事をためらう
・もうそろそろ定年退職、実家に戻って農業でも手伝って暮らそうかな?
そんな普通の事ができなくなるのです、この先ずーっと。

それで、もうそろそろこの福島の件は「震災後◯×△」では無くて「原発事故後◯×△」という表現にしましょう。地震が全て悪いって感じじゃないとおもうので、そう言った意味にならない様に「原発事故後4年目の提案」です。








No Woman No Cry Sunsplash 1979

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