2014年11月29日土曜日

クックの航海日誌

「クック 太平洋探検17・18世紀大旅行記叢書 岩波書店刊」を読んで




改めて、西洋と東洋?の考え方の違いを意識した記述。以下転載----
死人をこのように葬るのは、あらゆる階層のひとすべてについておこなわれえるのではなかろうかと、(途中省略)しかし、死人のそばに置いてあった食料その他に関してはいろいろな意見が出た。概して、これらの人々が、至高神を信仰するだけでなく、来世も信じているらしいこと。それらの食料は、ある神への供物か、来世における死者の食料か、いずれかの目的で捧げられたらしかったこと、など。しかし、死者の食料、という考え方はあまり妥当とは言えなかった。ここには神官などの職はあるようにも見えなかったし、だいいちなにか食料をそこに置いても、そのうちそこで朽ちはててしまうことは明々白々である。※1769年4月21日、ジョージ島(現タヒティ)での記述

続いてこの本で最も私が興奮した部分。 以下転載-----------
私がニューホランド(現オーストラリア)の原住民についていままでのべたのを読んで、地上でもっともみじめな人々だとお思いになる方もあるかもしれない。しかし、じっさいには、彼らはわれわれヨーロッパ人よりも、はるかに幸福なのである。ヨーロッパでひじょうに求められてる過剰ないしは必要な便宜に関する知識をまったくもたないので、彼らはそれらを用いることをしらないという点において幸福である。彼らは不平等さの条件によって乱されない静穏さのうちに生きている。大地や海がみずからの手で、生活必需品をすべて彼らに与えてくれ、彼らは豪華な家や、家財道具などをほしがりはせず、暖かいよい気候のうちに住んで、たいへんいい空気を楽しむ。そこで彼らはほとんど着るものの必要など感ぜず、そのことを彼らは十分よく知ってるように思われる。というのは、われわれは多くの者たちに衣類をやったが、彼らは無頓着にそれを浜辺や森のなかに投げ出し、なんにも約に立たないものとして扱ったのである。手短かにいえば、われわれが与えたものには、なにも価値を認めようとしなかったのである。またわれわれが彼らに差しだすなにか品物と引きかえに、じぶんたちのものをひとつでも手渡す記はなかった。私の意見ではここから、彼らが生活の必需品はすべて所有していると考え、なんらむだなものをもたないというふうに考えていいとおもう。※1770年8月25日頃ニューギニア南部トレス海峡での記述とおもわれる)


Time will tell

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